工芸技術保存作品

 

 

日 本 陶 業 連 盟

第12代会長 籠橋 久衛

 

  

 昭和12年7月、日本軍と中国軍が北支の盧溝橋において軍事衝突を起こした日中事変の戦火は、燎原の火の如く拡大し戦時色は急激に深まっていく。

 

 やがて昭和16年12月8日、日本はアメリカ・イギリスを相手に第二次世界大戦の幕が切って落とされた。

 昭和ヒトケタ生まれ以前の方ならば、戦争の進展に伴い物資の調達が困難になって物価が値上がりしてきたことをご記憶あろうと思われる。

 

 『政府は、昭和14年9月、物価統制令を公布して全ての物価を同年9月18日現在の物価に凍結するよう命じた。マル停価格)いわゆる9.18価格停止令である。もしこの時点で価格以上の値段へ引き上げを必要とする時は、府の原価調査を受けて許可を貰うか(マル許価格)、あるいは適正と認められる公定価格を制定公示して貰い(マル公価格)その範囲内で値上げを行うことが出来た。

 

 陶磁器について、この「マル公価格」の制定と運営は、政府により日陶連(日本陶磁器工業連合会)に委任されたが、公定価格の制定に当たり、芸術品(芸術性の高い陶芸品)については、地方長官の認定によって自由価格(マル芸表示)とした。芸術品を普通の商品と同じ様な考え方で価格を決めることが出来ないのは当然で、法律の主旨は極めて妥当であるが、現実において芸術品と非芸術品をどんな基準で明確に区別するかという段になると簡単に答えは、出てこない。

 

 加えて芸術品と見なされないものでも、精巧な技術や真似のできない伝統品のごときものを、もし「マル停価格」や「マル公価格」で抑えてしまうと、立派な技術が日本から消えてしまうかもしれない、優秀な技術は何らかの形で保存育成しなければならないということが、当時真剣に考えられた。

 このような見地から、日陶連は政府の指示によって、芸術品と一般商品の中間に「技術保存を必要とするもの」の分野を設けて、これに対しては、価格の統制を外すと共に、これが維持育成の為の資材供与の便宜、その他の保護策を考えることとした。いわゆる「マル技」の制度である。

 

 この資格取得の対象者としては、芸術作家はもとより、特殊技術者並びに一般工場でも、その製作品の中に特に「マル技」の資格を与えることにした。

 

 よって日陶連はまず斯界の権威者から成る技術保存認定審査会を設置し、全国の陶磁器業者に呼びかけてその作品提出させ、指定申請を行わしめ審査した。

 昭和17年の夏頃のことである。その結果、各産地さまざまな者が「マル技」資格者として認定され、日陶連より交付する「マル技」証紙を製品に貼付することによって、自由価格で製品を販売することができるようになった。』

 

         (日陶連 元専務理事 三井弘三著 「概説近代陶業史」より抜粋)

 

 戦後40年余、陶磁器産業も日本経済復興の一翼を担って輸出産業として大いに発展し、また貢献してきたことはご承知の通りである。

 しかしながら、最近の内外の経済情勢は大きく転回し、輸出型から内需型へと産業構造の転換を迫られている折柄先人の高い水準の技術の結晶である本作品か内需型の新製品開発へのヒントが得られればと考え、永らく日陶連の地下陳列室において保存収蔵され、一部の研究者のみ観覧されてきた「マル技」認定のための参考品(約400点)を公開することになった。業界再建の一助となれば幸いである。

 

     (1988年発行 「日本の陶磁器名工名作展」の序にかえて より)

 

 現在、日本陶磁器センター4階にてこれら作品は一般公開されています。(要予約)

 

 

 

 

             

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